小児福祉用具 車椅子/自操・介護 アクティブな方向け車いす

 
久保 里司さん (長崎在住)無限工房 営業部門長:
日本障害者バトミントン協会会長

自分でも障害者だっていう意識がないから、周りもみんな健常者として扱うし、それでいいと思う。そんな中で、自分にとって車いすとは、車とかと同じように「世間で生きていくための道具」だって思ってます。

 

 ■受傷されたのは?

いつ発症したかぜんぜんわからない。無責任な話でしょ。子供の頃、歩き始める時期が遅かったんだって。ずっとおばあさんにおんぶされていて、歩き始めたと思ったら、歩き方が少しおかしくて。何故その時に病院に行かなかったのか、僕は小さかったので分らないらないけどね。で、成長して、初めて病院に行ったのが、中学校の1年生。その時に初めて「あんたポリオだ」と言われた。頭は普通だったし、小学校の6年間、歩き方はおかしくて歩くのは遅かったけれど、普通に通っていたし・・・。ただ、足が内反脚になってきたので手術をして、腱を切って装具をはめた。中学校からは装具をつけて歩いたけど、めんどうだったし、装具は捨てた。22年ぐらい前までは普通に歩いていたからね。松葉杖と車いすと両方を使って生活してました。

 

 ■初めて車いすを使ったのは?

今から20年前。車いすに完全になったのは無限工房に入ってから。それまでは、普通に歩いていた。もちろん歩き方はおかしかったし、学生時代は周りから
馬鹿にされたり、いろいろなことを経験したけど、学校は普通高校だったし、差を感じたのは体育の授業の時ぐらいかな。3年半前に褥瘡つくって入院したの。骨までいっていたので、MRIをとってもらって、その結果を大学病院に持って行ったら「二分脊椎だ」って言われて初めて判明した。今でもそうだけど、小さい時からお尻のところにぽこって膨らんだところがあって、そこをたたかれると「ビーン」って体中に電気が走るみたいだった。それが一番の証拠で、破裂した髄腋がそこに溜まっているんだって。障害の等級も2級から1級に上がったの、3年半前に。すごいでしょう僕。

自分の中で障害という意識がなかった。特に小さい時なんて当たり前って感じ。年をとったら車いすになるのかなって思っても、あたり前の人生かなって感じで・・・・。人間そんなもんでしょう、「いつかは車いす」みたいな。がんばって立って歩かなくてもいいじゃないって思うところはある。がんばって歩いて転んで苦労するより、早めに車いすを使いなよって思うことがあるし、車いすの生活ってそんなに悪くない。だんだん、車いすになったから、こんな生活かなって思っていたし、障害っていう意識もなくて、車いすに対するショックもなかった。

 

 ■車いすになってとくに困ったことは?

「無い」

 

■最初の車いすは?

ゼロワン。今乗っているのは10年目ぐらい。ここ(無限工房)にきて、4台目ぐらいの車いすからからいろいろな車いすに乗換えることを覚えた。
今は、バドミントン用、日常生活用、狭いところ(小さな入り口の飲み屋さんとか)用って3台使い分けているかな。
スポーツを始めた理由は、(国体予選を兼ねた)県の障害者スポーツ大会のポスターを嫁さんと見て、「あんた泳げるし、これに出たら賞とかとれるかもよ」と言われて火がついてしまって国体に出た。予選に勝って、沖縄国体に行った。そこで知り合った方に、「久保さん、車いすのバスケやったら?」と言われてバスケのチームに入った。初めは、人の競技用の車いすを借りてバスケをやっていた。

自分の中では、何でもできると思ったので、スポーツを始めて、平成6年にバドミントンのクラブを立ち上げた。それ以来バトミントンを続けて、今では協会の会長です。(笑)


■家はバリアフリーですか?

バリアフリーな生活をしていることを期待して家に遊びに来た人がいるんだけど。玄関に入るまでに長いスロープを車いすでぐるーっと上がって、その上に段があるので、曲がりながらキャスター上げして、さらに玄関のところの段差を越えて、で、玄関の上がりかまちでプッシュアップして車いすから降りて・・・・。家の中では、キャスターのついた専用の椅子があるので、それに乗換えてガラガラしながら移動しています。お風呂にも全部ガラガラと行きます。トイレは酔っ払ってそこで寝てしまってもいいように、広く作ってある。車いすでそのまま入れるし。自分で考えて建てた家だけど、その当時はバリアフリーなんてことはよく考えてなかった。(笑)

 

 ■車いすでの仕事は?

長崎では、坂とか狭い道とかが多くて、仕事でも車いすで行けないところが多い。
でもハートセンター(障害者サービスセンター)やデイ(サービスセンター)に出て来てもらって修理とかしている。僕らは、出て来られる人にはあえて出て来てって言う、もちろん出て来られない人には言わないけどね。出て来ることで、その人が話をしたり他の人と交流したりできるしね。(でも動ける人でも家から一人で出て来られない気持ちになるようなところに住んでいるっていうこともおかしいのですけどね。)

 

■車いすユーザーに・・・

いろいろな人とお付合いをしておくと、年をとった時にも話し相手がいるから良いと思うよ。人と話をしないとぼけるじゃない。僕は、自分でも障害者だっていう意識がないから、周りもみんな健常者として扱うし、それでいいと思う。そんな中で、自分にとって車いすというの、車とかと同じように「世間で生きていくための道具」だって思ってます。

 

バドミントンチーム

 
「長崎もんぞ」は、1994年に立ち上げられ、現在約35名。入会される方の殆どがバドミントン未経験者ですが、皆さん練習を重ね、大会でも活躍されています。みんなで集まって練習したり、集う時間を大切にしている、明るい長崎もんぞの人たちです。

 

車いすユーザーストーリー


User's Storyに
登場いただいた皆様

 

 

上川 良二さん(長崎在住)
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日野 賢一さん(茨城在住)
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高橋 洪善さん(大阪在住)
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吉川 光昭さん(静岡在住)
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